2024年6月1日、母が永眠しました。
複数の病の為、色んな先生に診てもらい入退院を繰返していました。
何度か「ご家族に連絡を。」という話もありましたが、持ち直していました。
先月、実家に帰り施設の父親と病院帰りの母と兄弟、家族で実家で食事をしたのが目を開けた母と最後の対面でした。
先月、これからの事を考え葬儀屋に相談の予約を入れ、6/1夜に帰る予定でしたが、いつもと違って少し焦りがあり、仕事の休みを取って一日早く5/31夜に出発しました。
仕事帰りの後に出発したけど、仮眠を取らずにトイレ休憩のみで大阪へ。
朝7時前に病院に着き、面会時間が解除されていたので即、病室へ。
酸素吸入のホースや酸素濃度や心拍を見る機械に繋がれてベッドに横たわる母。
私達の見守る中、目を開くことなく2時間後に永眠しました。
相談予約を入れていた葬儀屋に連絡を取ると即、引取りに来てくれました。
病院の先生、看護師が車まで来てくれて手を合わせていました。
最後の最後まで面倒を見て頂き感謝一杯です。
葬儀は相談予約を入れていた所にお願いしました。
事前に見つけていなかったら葬儀屋から探す事になっていましたが、すぐに手配出来良かったです。
葬儀場に着くと遺体の前に線香が上げられていました。
本来は、そこから葬儀屋との打合せでお寺やお坊さんの手配をするのですが、身内に寺の住職がいる為、打合せ前に読経。
葬儀屋も躊躇う中、お坊さんの助けがあり、とんとん拍子でスケジュールが決まりました。
長男の私が喪主。
要領が分からない中、言われるがまま事が進み、通夜、出棺、お骨拾い、葬式全てが終わりました。
葬式前日、司会者に、お葬式中に読上げるナレーションの為、お母さんはどんな人でしたか?と聞かれ、初めは考え込みましたが、兄弟4人で、こんな事もあんな事もあったと話が止まらなくなるほど出てきました。
翌日、司会者からまとめた文章を読み上げてもらい最終調整。
「
美味しいお料理をお腹一杯食べさせてくれた。」
→美味しかった?不味くは無かったけど。
「
心のこもったお料理をお腹一杯食べさせてくれた」に変更(ゴメン)
「
やんちゃな子供4人を育てたお母ちゃん」
→やんちゃだったのは
お兄ちゃんだけやんと兄弟からツッコミあり。
「父親は仕事、母親は家事と
パワフルな昭和のお母ちゃん」
→全くその通り。
他にも色々纏めて頂き見事なナレーションを届けてくれました。
葬儀屋は死後の事を遺族に分かり易く説明するものの身内にお坊さんがいるので時折、間違いを指摘されながらも「やりにくいわ~」と場を盛り上げていました。
しんみりした雰囲気は少なく、場違いなほど明るく遺族をもてなしてくれました。
今後も葬儀は続きますが、母最後の記録として記したいと思います。